「そこそこ ほどほど」の生き方

友人から本を勧められた。「『そこそこ ほどほど』の生き方」深澤真紀(中経の文庫ミニギャラリー)。著者は「草食男子」や「肉食女子」を命名した敏腕コラムニスト。読みながら、これを書いた人も読む人も、よほど「そこそこ ほどほど」の苦手なタイプだなぁと、苦笑いする。「そこそこ ほどほど」がわかるまでに、どれくらいの時間を費やしたろう、だから今、伝えたいことがある、大丈夫、そんなに頑張らなくても、って感じかな。

「トラブルがあったときは、電球を交換しよう」って。要するに、トラブルに対処しようと一生懸命になるんじゃなくて、ちょっとの手間の別のことでもしておこうって。以前、ALA(アルコール依存症の女性グループミーティング)に出た時、先ゆく仲間の一人が、「鬱の時、頭の中はトラブルでいっぱいで、でも身体が動かない。そんな時、バッグの中身を片付ける。それだけでいいって、自分に言う」と語っていた。ほんと、それでいいって、わかる。

「無力を知る」って、生やさしいことじゃない。中庸を知るったって、半端なことじゃない、と思ってしまう。だからこそ、実感を伴って、「そこそこ ほどほど」を味わう時は、大人の醍醐味だろう。大人とは、年齢ではなくて、人生のステージとして。若い時に醍醐味を知る人もいるし、年取っても「甘いの、酸っぱいの!!」と言い続ける人もいる。アンチエイジングって、醍醐味拒絶組じゃないのかな。

先ほど、「なんにもないけどやってみた」を読んで、すてき、と思った。「そこそこ ほどほど」を読んで、その通りと思う。つながっている。どんな風でも、そうしてみたらいい。だって、やっぱり、人生に成功も失敗もない気がするから。
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