お菓子のやま

商業ビルの 地下にある食料品売り場を歩くと、菓子問屋のような店舗に出くわします。赤札を付けたスナック菓子が、段ボールのまま山積みに置かれ、「お菓子の家」というほど瀟洒ではないけれど、「お菓子の小屋」くらいの勢いです。

グリム童話では、お腹を空かせたヘンゼルとグレーテルが、深い森の奥で魔女の「お菓子の家」に誘い込まれますが、現代の日本では、白昼街中の一等地で、「お菓子の小屋」に遭遇する訳です。熱心にお菓子を見て回る若いカップル、お年寄り、子ども連れ。パッケージに見入り、値段や賞味期限を吟味している様子は、お菓子の山に分け入って、我を忘れている風情でした。

私は長いこと、「お菓子」が大好きでした。カウンセリングを学うちに、それがいわゆる嗜癖であることを知りました。甘いものが、こころを慰めてくれることを、物心つく前から知っていました。「かわいい、おいしい」と言いながら、渇望を埋めているのでした。「お菓子」に換わるものがなければ、自分の本音と向き合う作業がなければ、次第にその甘さに侵食されていきます。その仕切り直しには、魔女に出されたものを食べずにやせ細り、それによって自分の命を救った子どもたちの寓話が、現代にも通じます。

それにしても、あれだけのお菓子を作るために、小麦粉や米粉やとうもろこし、そして果物や野菜が、どれほど輸入され消費されているんだろう、と「グローバル経済」の一端を感じます。第三世界では田畑や森林を他国の資本に翻弄され、輸出産業として外貨を稼ぐばかりで、自国は食糧難です。

つけを他者に回して今を生き延びようとする行為は、他者も自分も傷つけていきます。傷つけ合うシステムが発動していると、幸せを感じるのは難しいなぁと、お菓子の山を通り過ぎながら、感じました。

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