ゆっくり

「人生は短し、芸術は長し」とは、よく聴く格言だが、初めてその本意に触れた。元々の「芸術」は「技術・医術」を指し、「何かを成し遂げるには、時間がかかる」ということだそうだ。

大学で哲学を講義して来た友人に、久しぶりに会った。退職して「ほとんどうちに一人でいるんだよ~~」とぼやくので、「そうなの?ゆっくり、哲学をひもときながら暮らしてるの?」と尋ねると、「実は、ピアノを弾いてるんだ」とのこと。いっきに意気投合してから、「それにしても、なかなか技術は身に付かないものだねぇ」と、二人でぼやくことになった。

ひょんなことから「古典ギリシャ語講座」に通い始めたと話すと、「ああ、いいよねぇ、ギリシャ語、懐かしいなぁ」とのたまう。若い日に、ギリシャ語とラテン語を通過したのだそうだ。そう聞いて、こちらは、のどかにビックリした。

ちなみに、「人生」と訳されている言葉は男性名詞、「芸術」は女性名詞。すべてのもの、ことに、男性、女性、そして中性とジェンダー分けをするのは、違和感がある。とはいえ、たとえば、同じ「いのち」を意味する単語にも、「自然のいのち」を表す女性名詞があると聞くと、言葉以前の世界観は、膨大な体験智を持つのだと驚嘆もする。

ギリシャ語から垣間見る世界は、全く違う視点から再編して、これからに繋げる道具のよう。ゆっくりやろう。急がば回れ。間に合わないかもしれないけど。
スポンサーサイト

ステージのピアノ

発表会のあとの、ホールを借りている時間を利用して、ステージのピアノを弾く機会を頂いた。グラウンドピアノの譜面代の立て方さえ、知らない。鍵盤がライトに照らされ、よく見えない。アリスのようにトンネルを落下している気分だった。ここはどこ?

あらためて、さっきまでステージに順番に立っては練習の成果を発揮していた、子どもたちの勇気に脱帽。遊園地よりスリル満点。
こちらは乗り物酔い。ピアノ友の一年生のけいちゃんが、「綺麗だったよ!」と、励ましてくれた。いやいや、あなたの努力と度量こそ大したものだよ。もう二度といいやと思いながらも、ステージのピアノの前に座った体験は良かった。やってみて、身をもってわかった。彼女たちの、日々の精進。

ギリシア語

娘の大学時代のお友達に勧められて、「ギリシア悲劇を読む」という講座に通い始めて3年目。悲劇に出てくる横文字が人の名か、神様か、地名なのかさえ判別が着かない中を、彷徨ってきた。年末の講座で、講師が「来年度は『悲劇』に加えて、『ギリシア語』を担当します。皆さんは、是非、お出でになるように」とアナウンスがあった。のけぞった。無理無理!というより、関係ない、興味ない、知ったことか。

お正月に、講座の友人が貸してくれたVHSを観た。マリア・カラスが主演する「王女メディア」、IRENE PAPASの「アンチゴネー」。「王女メディア」では、惨劇の背後に長唄が流れ、暗さが身近に迫った。「アンチゴネー」は音声がギリシア語で「賛歌」の美しさが胸に響いた。音が沁みた。

ふり返ると、あった。本棚に、ずっと飾ってあるレフカ・トプカの写真集。白と青のギリシア。
20年も前に、アサーティブネス・トレーニングの勉強会を、うちのこたつで始めた頃、「自分の好きなもの」を20こ書き出すワークをしたときに、その中の一つに数えた写真集。居間の、PCの後ろからのぞき込んでいたギリシア。本に、「ようこそ!」と言われた気がした。待っていたと。「カタチに色なく、極めれば音」と、写真家が書いていた。

年末

12月に入って、スケジュール表は最後の1ページ。
ICUのチャペルコンサートに行こうよと、友人達や連れあいに声をかけている。主催者は、「少人数の精緻なアマチュア・ヴォーカル・アンサンブルを目指して活動」とある。古楽オーケストラ・メンバーとの共演で、今回は、メサイヤを歌うらしい。チケット予約をしようと電話をかけると、「当日、チャペルの前に並んでいただければ大丈夫です」とのお返事。華やかなクリスマスはいらない。静かで、凛とする感じがいい。

暖炉

友人に「暖炉とワインの夕べ」に誘われた。陽の落ちた都会の住宅街に、三々五々立ち寄る人たち。暖炉の前にしつらえた客席で、ワインとチーズ、お野菜、お茶、焼き菓子を楽しみながら、おしゃべりをしている。アコーディオンがパリのシャンソンを弾いている。
ガヤガヤとした会場とアコーディオンは相性が良く、暖炉にくべられた丸太からは香りが届く。

「あったかくてきもちいいね」と、二人でぼんやり過ごした。昨日は仕事仲間、今夜はともだち。お互いのいろんなことを知りながら、ただ、ほっこりと一緒にいる幸せ。

うちに帰ると、コートからもバッグからも、たき火の匂いがした。懐かしい。