昨年の夏のバーゲンで買った、クリーム色の運動靴が活躍している。「歩く為の靴」というふれ込みだった。

なんだか、ただ歩きたい。目的地なく、考える材料もなく。歩いているうちに、足や腰の動きにきもちが寄り添って、それこそ、どこをどう歩いていようが、お構いなしになる。どこかで「もう帰ろう」と思い立つと、「うちへ」と入力された頭が、働き出す。ああ、楽しかった!おしまい。

「一体、なにをしているのだろう?」と考えるのも面倒くさい。
ただ、今はそんなときで、そして、それができる時。

スポンサーサイト

汐留

昨日、汐留の電通カレッタの展望台からウォーターフロントを眺めた。築地、羽田、東京タワー。ビジネス街、くねる高速、地層深いトンネル。

3.11の際に、息子くんは自社ビルから浜離宮公園に逃げ、対岸に燃えるガスタンクの黒煙を見、津波の映像に人々とどよめいたのだという。

見下ろしながら、「あかんやろ」と思う。あれから、メルトダウンは続いている。復興資金も税金も、コンクリートに消えて。

「希望にむかって」とか「明日のために」とも思わなくなった自分が、あれ以来、いる。それが正直な生き方のようで。

新しい年

新年が動き出したというより、目標の知れないどこかへ、みんなして彷徨いだしたみたい。

落ち着こう、と思う。自分がけたたましくならないように。捲し立てられてケンカを買わないように。煽られて走り出さないように。

静かに暮らそう、と思う。そしたら、一緒に遊べる。ゆっくりできる。それでいいよ、と言える。大丈夫、と頷ける。そんな大人でいたいなぁ。

改葬

母が亡くなったのを契機に、改葬、いわゆる墓終いをした。驚いたのは、改葬許可届に、亡くなった面々の「本籍」を記入する欄があったこと。死してなお、地上のアドレスが必要とは!事務職員が、「よろしいですよ、『不詳』と致しましょう」と、ぽんぽんゴム印を押していった。

秋晴れのもと、空に向かってつぶやいた。どうぞ、みなさま、ほんとにほんとにご自由に!すでに地上のしがらみなどなく、魂を羽ばたかせて居られるのだから、どうぞ、そのままに。永久に、ご自身の魂であることだけをこころに留めて、過ごしてください。

お別れに、賛美歌を歌った。「神ともにいまして、行く道を守り」と歌い出す「卒業」の歌だ。乾燥した空気の中で大声を出したせいか、はたまた、緊張の弛みからか、風邪を引いた。ぼんやりした身体で、係累とのつながりをたどっていると、確かに「想い」は活きて現実になるのだと、実感する。

新聞

先に新聞を読んだ。「なんか、おもしろい記事、あった?」と夫に聞かれた。「ないよ。哀しいことばっかり」と即答した。でも、思い直して「オピニオンのところは、おもしろかったよ」と伝えた。

ドイツ文学者の池内紀氏が「私の歩んだ戦後70年」と題して寄稿している。見出しに惹かれた。「国は信用ならない。他人は頼りにしない。自分で考え決断する」とある。

彼は言う。
「久しく『読む訓練』をしてきた者からいうと、語られていること以上に、語り方が真意を表している。時の権力者、また権力にすり寄る人々の語り口を、少し意地悪く見張っているのも悪くない。気をつける点として、次の三つがあるような気がする。1.主題をすり替える。2.どうでもいいことにこだわる。3.小さな私的事実を織り込む。 丁度いい機会だ。記念年に際して、ものものしく発表される『作文』を採点してみてはどうだろう」

うん、今夕の「談話」を聴く目安にしよう。

それにしても、この3つのポイントは、実によく使うなぁ。ごまかしたい時、勝ちたい時、どうでも押し通したい時、有効です。